トークイベント、新宿

数日前、新宿にて「運動」についてのトークイベントを聴講しました。
個人的には、集団的なものに対する(ヴェイユ的な)警戒心が強いので、
これまでにアクティビズムと看做されるような行為・活動には直接的に関与したことはないのですが(少なくとも意図的には)、
これから先、避けては通れない過程において、それらが(現時点で十分に戦略的で効果的ではないにしても)必要な手段であることが
少なくない人々にとって明らかになりつつあるように思われたので、当事者の話を聞いてみたいという思いがありました。


まずはじめにイギリスにおける(2001年以降の)反戦運動・抗議活動についての映像作品の上映がありましたが、
その中心的な活動者が(あるいは活動自体が)社会、地域、友人、身内などの諸範疇でどのように認知されているのか、
またそれにはどのような多様な見方があるのかという、一時的な情報では伝わりにくい部分が仄見えてくるような(貴重な)記録だったように思います。


その後のトークでは、上映作品の作者を交えて、製作についての経過や苦労などとともにイギリスにおける抗議運動の展開*1や法律との関係・推移などについて話されました。
時間の都合上、近年の日本においての広義の「運動」の状況について、というところまで話が進まなかったのは残念ではあったものの、
無視できない問題をいくつも含んでいるという印象を強くしました。

何かをしなければならない、事を企て、希求しなければならない。
自分の判断をまず中断して行動したり追い求めたりするのを差し控える根っからの懐疑家のような作り笑いを浮かべてみても、
契約の責務が避けようのない「しなければならぬ」としてのしかかってくる。
(…)
ボードレールの真の旅人たちのように旅立つために旅立つのだ。*2

*1:Mark Wallinger やBanksy へも言及

*2:『実存から実存者へ』E・レヴィナス