「運動と映画」@ジュンク堂新宿

「必要」の前の段階に「欲望」、「で、お前はどうしたいのか?」という問いが抑えまれていたという気がしました。
廣瀬氏の(子供のような)忙しなさには節度を欲望が突き破る瞬間のようなものが表れていて、
テクストからは読みとることができなかった「表情」があり、その部分で刺激を受けました。


また、「切り返しショット」や「思考と教養」をめぐって抽象と具体を往復するような対話の内容についても、
T・S・エリオットのインパーソナル・セオリー(没個性説)のアナロジーを想起させるような、
仮にその場だけのことになるとすれば惜しまれる、現実的な効果があるように思いました。